土佐光起という土佐派を代表する画家について、ブログに描いた。
日本の絵画の歴史に関心をよせ、日本画(土佐派)の技法書『本朝画法大全』を作った。

その中に、
「白紙も模様のうちなれば、心にてふさぐべし」という言葉がある。
これは「白紙をさえ、描写以上の描写とする日本独特の技法」を表現したもので、
ヨーロッパの絵画はルネサンスから印象派まで、びっしり画面を埋めるの対して、日本の肖像画や大和絵の歴史は、しだい余白をもつようになっていった。

なぜ余白なのか。
油絵など西洋の絵画においては、余白をなくして、書き込むことが大切にされるのに対し、日本画では、わざと何も描かず、その余白に象徴性を持たせる。

東洋の絵画においては、(余白の美)というものが、特に大切にされてきた。

こういった日本的な省略が発生して、さらに「引き算の美」というものが生まれた。
なぜ省略や引き算が発生したかというと、一つには、中世の日本には「無常」の観念がはびこっていたこと、もうひとつは、そもそも日本にはウツツ()とウツ(現実)を出入りする
ウツロイに対する感覚があって、そのウツロイのプロセスはどのようにも縮ませたり、
引き伸ばしたりできたということがあるらしい。

なぜそんな伸び縮みができるようになったかというと、三十一文字ですべてを表現する和歌による訓練がゆきとどいていたからだという。

と、やや話は横にずれてしまったが、とにかく日本人の感覚は世界的に見てもかなり特殊なのだろう。
これってスゴいことなのだ!

酒井抱一の風神雷神屏風図






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